水神社(現、当社境内社川端神社)寄進帳 嘉永六年(1853年)
水神社寄進帳には、水神社のご祭神、ご由緒、ご神徳、御造営の経緯が記されている。
内容
紀伊国有田郡箕島村に鎮座している水神社にお祀りしている神は、罔象女命である。
大昔から、この箕島に慎んでお祀りしている。神社も、壮麗にして、一年中祭礼なども大変厳格に
執り行ってきたが、天正十三年の豊臣秀吉の紀州攻めに遭い、何もない土地になってしまった。
しかしある時、村長を始め村人らの夢の中に罔象女命が現われて、言うことには、
「私は、大昔から、この箕島に鎮座してきた水の神、罔象女命である。
去る天正の乱の後、神社が廃れ衰えてしまったことを長年に渡り歎いていたけれども、未だ時節が
こないものと黙っていた。
しかし今、お前たちが信心を心に刻みつけて忘れていないことが分かったので、再びこの箕島に以
前の神社を復活させようと思う。
一日も早く一社を造営し御霊を謹んでお祀りしたならば、私がこの箕島の繁栄を守ろうではないか。
元来、私は、いざなぎの大神が火の神をお産みになられて、亡くなられたときに、その火の神を鎮め
奉ろうとして生まれた神である。
火難、水難を解き除き、商船の風波の難を鎮めよと、お告げになったのだから、諸人は、深くありが
たく感じて流す涙を肝に刻みつけて、速やかに神社を建立したならば、霊験日々に新たにし、日々朗
らかに参詣の人たちがふえるであろう」
とお告げになった。
そうは言っても、私ども総代としては、天正の動乱以来長い年月が経過していて、再び盛んにしたい
と思っても、社地も大変せまく日々献ずるお供えを調え納めることも困難である。
神主を始め隣村他郷の人たちまで、このことを歎いているさまをどの様にしてお知りになったのかし
れないのですが、お上から、いくらかのお金を賜り、その上、護持するのが十分できなようであれば、諸
方の信者を増やすようにというありがたいご内命があったので、当箕島村は、言うに及ばず諸国有縁の
人たちにお願いをして、その内に造営の努めを終えたいと思う。
この故をもって諸国信心の御方々には、多少の額をとわずご寄進くだされば、御姓名を記して永代社
閣に治めて子孫長久家業繁栄、とりわけて火難、水難除けの御祈祷を永代怠りなく努めますので、ひた
すら御寄進の程お願い申し上げます。